新しい記事を書いていると

前にも似たようなことを書いたなと思ってしまう。

基本的には同じようなことですが

記事ごとの微妙な違いが

理解のきっかけになるかもしれませんので

書いていきますね。

 

若いときから非常に丈夫で健康であると同時に

定期的に怪我や意味不明な状態異常(病気っていわないぞ)

を経験してきた。

 

また生まれ持った気質かもしれないし

育った中で獲得した傾向かもしれないが

ひたすらに観察をするっていうのもある。

 

状態異常の時も治すことより

今までの感覚と違う感じをずっと観察している。

旅のように折角ある痛みや五感のつながりの悪さを味わっている。

向き合うってのはそのままを受け入れること。

自分の中から出てくる恐怖や様々な判断の声には耳を傾けずに。

 

演奏も若い頃は曲を弾くのは勿論

エクササイズのようなものも多くやっていた。

目的は曲やエクササイズを上手く弾く事。

 

いつの頃からか常時身体のことを観察するのが

当たり前の習慣になっている。

観察しながらより構造にたいして無理が無く

機能的で連携のきちんと取れた動きを発見している。

これを自分を整えるという。

 

こうして発見したした感覚を

曲やエクササイズで試してみる。

そんな風に変わってきた。

 

新しい感覚で試してみた時の

少し違う手触り。

これを頼りに日々過ごしている。

 

手触りが変わるってことは世界から得られている

情報が少し変わるということ。

得られている情報が少し変わるので扱いも変わる

そして現れる世界が変わってくる。

全く弾ける気がしなかったものを弾いている自分が居る。

 

いつの間にか曲や世界は克服・征服するものではなくて

現れてくるものを楽しむ場となっていた。

 

行うのはただ自分を整えていくことのみ。