来られている方が教室に通いだしてから

読書に興味を持ったと伝えてくださった。

僕の影響というよりはその方の資質が本に結びついたのだと思いますが

教室がそういった資質を触発する場として機能しているのは嬉しいかも。

 

学生の頃から本は好きでよく読んでいました。

よく読んでいたと言っても

僕より読んでいる方はとても多い。

 

作家や読書家だと数万冊は読んでいると思う。

僕は数千冊の後半程度かと思う。

そして内容を完全に忘れている本の方が多い。

 

読書は一冊一冊を丹念に読むことが素晴らしいのは間違いないので

量でものを言うのは意味が無い。

量がものを言うのは本の読み方が多様になること。

様々な分析力や思考力を養うには量が必要。

平たく言えば量を読むと何がしかの力を授かる。

 

量を読んで様々な世界に触れて、気になった本は丹念に読むのがいいと思う。

 

若い頃は読書が楽しすぎて

何も無く繰り返す日常が苦痛でしょうがなかった。

本の世界は物凄いストーリーに溢れていて

日常では味わえない感情や思考を経験させてくれる。

 

でもある時、本の世界に溺れている感じがいけない気がして

読書を封印した。

やはりリアルな世界で色々と物事を起こさなくてはいけないかなという感じ。

特にSFやファンタジー、小説の類は遠ざけた。

学ぶための本は必要に応じて読む程度の読書量に落ち着いた。

 

一冊の本を開けばそこには世界があって

その物語に入っていく。

またその中の言葉の一つ一つ心に引っかかったものを

調べていきほかの本に出会う。

こうして一つ一つの独立した世界が繋がっていく。

 

今、目の前に人がいる

その人は本の表紙の様に座っている。

対話や様々な触れ合いでその人の世界を見せていただく。

その中にまた違う世界への扉が隠れている。

その扉をきっかけに別の世界がリアルに浮かび上がる。

 

日常の出来事すべてが短編小説の様に

とても教訓にとんだ教養小説の様に

様々な現象が絡み合う長編ミステリーの様に

はっとするような一遍の詩の様に現れてくれる。

瞬間瞬間がそのままで完結しながらも終わらない物語として続いている。

 

本に負けじと様々に起こしていた物語より

勝手に起こってくる物語の面白さ。

ずっと読んでいたい。

 

行為としての読書と生きていることは同義であります。

生きているって面白い。

全てのことを丹念に味わっていきたい。

 

僕も「はてしない物語」

の一部になれた気がする。