今週、耳に残った言葉。
教室なのでよく出てくる言葉なのですが
今週はこの言葉が沢山出てきました。
それは、
わかる、わからない
という言葉。
みんな自分の考えを持っている。
その考えに従って最善を生きている。
その結果、何がしかの人生観を持つ。
その価値観を補強するように世の中を観察し過ごす。
そんな感じだと思って人を見てみる。
性善説でも性悪説でもなく最善説とでも言ってみよう。
多分、そんなに珍しい考え方ではないと思う。
物事はまず「知る」段階がある。
そして知ったことを「行う」段階がある。
行って「わかる」段階に到達する。
「わかる」と応用したりそれを土台に物事を認識・構築していくことができる。
知ったことが行動につながる。
人それぞれ、たまたま知れたことが凄く良いことかもしれません。
知っていることが少ないと最善と思って行っても
そうではない行動になりやすいかもしれません。
ですから何度も検証し最善を模索します。
検証するためには違ったやり方を知ることです。
そういったものが世の中にあること
そういったことがこの身体でできること
知るだけでは「わかる」にはなりません。
「わかりました」「わかりません」の前に
「知りました」「知りませんでした」があります。
そして「やってみました」「やってみませんでした」
「やり続けています」「やめました」があって
「わかりました」「わかりません」に行き着きます。
ですから簡単に「わかった」「わからない」という言葉に
左右される必要はありません。
知れたことを楽しんだ方がいいと思います。
そして知った中で行えるものを行ってみてください。
そして知れたことを楽しむためには
知らない自分を楽しむことも必要です。
まずは知って、興味を持てたものを行って
なんだか「わかった」になれればいいと思います。
その「わかった」ものを集めて更に検証していくと
ある程度の普遍的な事実に行きあたると思います。
それを基礎と言います。知恵とも言います。
いつも分かりづらいと言われる文書ですが
今日は更に分かりづらいかもしれません。
そのうちに上手に書けるかもしれませんのでご容赦ください。
指一本動かすことだけでも知れることは沢山あります。
だから面白いのです。
学校の教科もまず「知る」機会の提供だと思うと
感謝出来るかもしれませんね。
「知る」機会と「行動」する場の提供が学校・社会の役割で
「わかる」は個人に属する事柄です。
その「わかった」から派生したものをまた周りに提供していくと
循環して楽しいかもしれません。
あまり綺麗にまとまりませんでしたが今日はこの辺にしておきます。
また書き直すかもしれません。