今週は基本レッスンはお休みですので
ゆっくりとした時間を過ごしています。
最初の2日は少し多めに寝て
振替レッスンを少々行いながら
事務や練習、お絵描き、読書のいつものコースに
DVDですが映画も2日で7本程みられました。楽しい時間です。

今まで事務をやるときは事務モード
音楽をやるときは音楽モードの
ような感じで取り組んでいましたが
切り替える作業が億劫になってきましたので
お絵描きや楽器を弾く時やその他創作的なことを
やっているときと同じままで
事務作業ができないかな~とか思ってやっています。

何かをするときに切り替える必要ってあるのか?
という問いが僕の中にあって
切り替える必要は本質的にはなく、
そうしたい自己都合があるだけだと言いたい自分がいます。
こういう一見くだらない事を追及出来る環境がありがたいですね。

さてさて、最近レッスンをやっていると
こちらから水を向けなくても自分なりの方向で色々と
考えたり試したりされているなと感じることがよくあります。
何かを探ろうと内部に向かっている気配が
その人の音や雰囲気に現れてきます。

色々試しているけど結果・発見にはまだ至らない、
そんな時は落ち着かないかもしれませんが
それが何かをするという事だと思います。
何かをするというのは落ち着かないものです。
わかってるから、ちょっと放っておいてくれ~ってなりますよね。

そんな時でも来て、雑談したり、人の様を観察したり、
そんな自分を受け入れて弾いてみたりしているうちに
少しづつ変わってくる自分に気づいたり
まぐれ的にうまく弾けたりするようになってきます。

まぐれが起こるということはそのままの自分で出来る
ことの証です。
そのまぐれで起きたものを確実に起こせるようになるには
何かを付け足すことよりアプローチの方法を色々試していく事になります。

来られている方で共感・共有してくださっている方も多数いますが
ちょっとした感覚や意識の使い方で身体の機能が活性化したり
現れてくるのが変っていくことは間違いありません。
人間というものは面白く凄いものだといつも感心します。

自分で違うと思えることが自身の中に正解を持っているということです。
正解には外的な正解、内的な正解がありますがその両方が道しるべとなって
問いへの決着に向かわせてくれると思います。
簡単には納得せず、でもどん欲になりすぎず、
問いと肌感覚を大切にして進んでいきましょう。