教室を作ったときには
あれこれ色々なことを考えました。
思い付いたことを紙に書いたり、絵にしてみたり。
自分が着る服も一定のフォームを決めてみようかな、
なんて思って洋服屋さんを見て回ったり。
色々と考えても実際に継続してできる事は
自分に身についている事だけだった。
でも、常々色々と考えて
状況の中で起こりうる事、起こしうる事を
様々に想像していく事は大切だと思う。
想像しうることと現れるもの
または現れちゃうものの関係は面白い。
日々自己更新していくうちに
想像できる事と現れるものが
自分の想定を超えていく。
その循環が面白い。
現状、その日その時に現れちゃっている自分を
驚きとともに楽しめていたり、楽しんでもらえているのは
幸いな事だと思う。
さてさて、レッスンも演奏も飽きずに付き合ってもらうのは
簡単なようで簡単ではなかったりする。
レッスンは何年も何年もコツコツとお互いが対峙して過ごす。
演奏もやはりまた聴きたいと思ってもらえないといけない。
頑張っている僕を応援してください!!というスタンスは
あまり好きではない。
もちろん自らを権威として相手を縛り付けることもだ。
人を飽きさせない方法は
いろいろと展開のバリエーションを増やして
刺激を絶やさないこと、緩急をつける事、
予想外の展開を作る事だったりする。
いかにもエンタメ的な項目だったりする。
目先を変え飽きにくくはなるかもしれないが
こればかりだとレッスン効果は薄くなる。
もう一つのやり方は自分を深めていく事。
料理で言えば何度でもずっと飲み続けたい
と思ってもらえるお出汁のようになれる事だと思う。
人は色々と考え発言し行動する。
でも必ずその人が持っている価値観や身体感覚の
上でしか行動することはできない。
だからその人の現れちゃっているものを見ていれば
その人のお出汁みたいなものに触れることができる。
食べるほどに味覚が鈍くなっていく料理もあれば
繊細さや味覚、嗅覚、視覚を開いていてくれる料理もある。
こういう事はまずそういうレベルの物事があると知る事が大切だと思う。
作品に触れたりレッスンの価値はここにあると思う。
そして自らが行っていかないと身にはついていかない。
表層から始まって出汁のレベルで自己を調整していって
現れてくるものの変化を観察する。
そういったものの積み重ねで大味な考え方から、
少しづつ繊細な考え方に至れると思う。
そして大味でダイナミックなものより
繊細なものの持つ力の凄さに気づける日が来ると思う。
そして繊細さがあるから大胆になれると思う。
これは完璧主義ではない
そういった方向の感受性や行動を積み重ねているかは
人間同士自ずと分かり合えたりする。
その中での上手下手は微笑ましく見ていられるし
お互いの中に尊敬の気持ちも持てたりする。
そういった事を理解している人の行動には
また自ずとその感じが現れちゃったりしている。
そういう控えめで静かな交流は楽しい。
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