楽器を弾いていたり絵を描いていて
何だかスッキリしないときがある。
凄く悪いわけではないので、まぁいいかなとも思える。
そこで一旦良し悪しやかかる手間の計算やらから
頭と気持ちを切り離してみる。

そこにある自分が持つ権利に目を向ける。
何だかスッキリしない作品を目の前にして
僕には納得がいくまでやり直す権利がある状況だ。
さて、これを行使するかしないか?

問題は絵の良し悪しではなく
自分の権利を自ら蔑ろにしていないかという事。
他者にぶつける権利主張ではなく。
自分が出来うる可能性に関して
自ら蔑ろにしていないかという事。

そうしてまたやり続ける。

そう事を繰り返して何か少しだけ自由になれる
そういう自由を手に入れた僕から現れてくるものを
僕は見つづけていたい。


さてさて、教室を中心とした生活になって
2年程たちました。

小さな教室の限られた空間ですがしっかり中に入って
良く見渡してみると様々な可能性を発見します。

身体も思い込みも環境にも様々な
制約があります。
その制約に目を向ければ足りないものだらけです。

制約や義務というものは向こうからやってくるので
目に入りやすい。

でもそこにある権利には気が付きにくいものです。
上手に弾けるまで何度でも繰り返して探求する権利があるし
腑に落ちるまで考え続ければいい
指の理想的な動きを見つける権利もある
そういう自ら見出す権利を放棄して
課せられたものに対応することばかり
達者になるのはもったいない。

課せられている義務や制約より
見出し行いうる権利の方が必ず大きい。
それが自分を大切にすることだと思う。
そういう自分から何が現れるか見てみたい。
こういう欲望は年齢も時代も関係ないと思う。

声高に主張するような権利ではなく
出来事の中に静かに潜んでいる権利に目を向けよう。
誰も気づいていないような権利を見つけられるかも。