住宅地の道路を車で走っている。
進んでいくとお父さん、お母さん、二人の子ども
が横一列で歩いている。
その家族は車が近づいてきたことに気づいて
道の両脇にお父さんと子ども、お母さんと子ども
というように分かれて車をやり過ごそうとする。

その間を車で慎重に進みながら
どちらか一方に寄ってくれれば車が通りやすいのに
という考えが浮かんだ。

次に浮かんだのは
万が一どちらかに車が突っ込むようなことがあったときに
どちらかは巻き込まれないということ。
生存率を上げるために無意識にこういう行動を選んでいるのかも知れない。

必ず遅刻してくる人がいる。

必ず違う意見がでる。

夫婦は気質が違ったりする。

こういうことで人類は生存率をあげてきたのかな
と思う。

全体を同じ考え、行動でまとめようとすると無理がかかる。
無理をかけなければまとまらないから役割やルールが存在している。
その中で少しずつ多様性を獲得していているのが人類史の流れだと思う。

多様性と統一がいつもせめぎあっている。
自己責任とか自粛とかいう言葉もそのギリギリの攻防かなと思う。

それらは対立しているわけではなく
同じ根から生えたバリエーションでしかないと
見えると少し考えに隙間が出来るかもしれない。
枝葉を見飽きたら根を見よう
そこはお互いに共通項だ。

来ている人達がどんな選択をされようが
構わないと思っている。
恐らく最善に進んでいるのだろう、
たまにふと立ち止まって目線を変えて
最善を更新し続けて欲しいと願う。