たまに思い出したように曲を弾いて歌いたくなることがある。
単純に歌って良いなと思える日がある。
空き時間に一人「ひょっこりひょうたん島」や
「アンパンマンのマーチ」「愛し愛されて生きるのさ」
「花」「人として」等々を楽しんだ。
文脈としての意味より、そこに現れたり置かれたりしている
言葉に心が動かされる。
その言葉を見つけて置いてくれた人にも感動して感謝したくなる。

さてさて、
優れた作品を作る人を見ると
その身体の普通じゃ無さに目が行くことが多い。

その手の動きは見たことがない。
その座っている様は普通じゃない。

でも構造は特別違わない。

同じ構造の身体で
動きの違いは多種多様。

人はそれぞれ違うも
人はみな同じも
別に対立する考えではない。

単に観察している点が違うだけ。

同じ表現……
例えば同じ言葉を放っても
人が違えば同じ意味にはならない
受け入れやすかったり
何故か反発したくなってしまう。
僕らは字面を受け取っているわけではない。

それぞれ違った表現をしても
分かり合えている事が分かることもある。

何だか分からないけど何か探らなければ
いけなないものがその人の表現の奥にある
予感や確信を感じることもある。

そんな力に魅了され引っ張られていくうちに
ただ魅了されているだけに飽き足らなくなって強い探求がはじまる。
やがてその問いを持った自分自身を発見し出会っていくことになる。
そんな日々を積み重ねたある日、自分が放ったものを誰かが受け止めようと
してくれていることに気が付く。

それを継承や伝授と呼ぶのかもしれない。
でもその問いや求める気持ちは受け止めようとする人の中に
最初からあるものだということは間違いない。

あるから受け取れる。
受け取ったものは最初から自分が持っていたもの。

そんな訳で人は常に豊かだと思う。
恐れずにひたむきに自分に向かっていけばいいと思う。
弱っちい時は弱っちいなりに
制限を感じるときは制限を感じながら
周りが見えてないときは周りが見えてないなりに
その時々の最善でいい。
問いを自分に向けていれば
ちゃんと進んでいく。
やがて、その問いは同じ問いを持つ誰かが拾ってくれる。