言葉は葉っぱ、枝につく、葉っぱから根が見える。
手紙は一通、思いがある手紙は一葉、葉には根がある。
様々な葉のやり取りから枝を見て幹を見て根を感じる。
根、それを見切るのは難しいかもしれない。
でもでもとても容易で単純なことだと思う。
―さてさて「見切り千両」って言葉がある。
投資や経営などの文脈だと損切りは大事だよ~のように使われている。
知っている方も多いと思うが元は米沢藩の藩主 上杉鷹山(ようざん)
の言葉で全文はこのようになる。
働き 一両
考え 五両
知恵借り 十両
コツ借り 五十両
ひらめき 百両
人知り 三百両
歴史に学ぶ 五百両
見切り 千両
無欲 万両
この言葉の一般的な解釈は検索していただければ
沢山出てくると思う。
それはそれで知っておいて―
こういった言葉を自分に引き寄せて勝手に解釈してしまう事を
無意識によくやってしまう。
自分勝手に言い換えしてそれがどのくらいの強度があるものなのかを
検証・更新していく。
僕はこの言葉をこのように引き寄せている
働き→ まずはやってみよう
考え→ やりながら様々なことを考えていこう
知恵借り→状況ごとにどうすればいいか調べたり尋ねたりする。
コツ借り→知恵が枝葉なアドバイスだとすればコツ(骨)はそのような
知恵・提案が出来る原理や根本的な考え・基礎を教授してもらう。
言わば幹のようなもの。
ひらめき→物事にはそういったコツというものや原理というものがあることを
知った上で、それを自から探求し検証・実践していく。
人知り→ そういった事を営々・粛々と行っている人は世間に少なからずいる
ことを 知る
歴史に学ぶ→そういった事柄は歴史の中にも偏在していることと向き合い
親しむ。
見切り→ 見切り≠損切りではなく物事をしっかり見定めて理解する。
現象の根を見極める。
無欲→ 判断の外にあるものとともに営む。根の周りには大地がある。
物事の習熟もこれで判断が出来る。
段階的に捕らえる事もできるし、常に同時にそれをその人なりの深度で
行っていると捕らえることは出来る。
物事を論じたり断じることは容易に行えるが見切るのは容易ではない。
僕も今使っている機材を何度も売り払おうとか入れ替えようとしたことがある。
そして色々とやっているうちにその機材や環境の良さを引き出せていなかった
自分と出会うことになる。
悪い(と判断した)ものを切り捨てていき、より善しとするものに
入れ替えていってもそこに出来上がるのは自分が判断している世界。
判断している人間以上の世界はそこには現れない。
経営者の能力が組織の限界ということになり
目先を変えても根っこは同じ事の再現になる。
物事を見切るのは簡単ではない、
もう一度書くが断じたり論じているのと見切っているのは違う。
そして、その見切ったとか見切ってないの判断や理解の外にある世界に生かされている。
人の言葉を勝手に引き寄せて解釈するのは上品ではない気がするが
まぁ、権威として語っているわけではないので害は少ないだろうと思うので
ご容赦を。
生きるのが楽しくなれば何より。