最近はやること多めの日々ですが
突然いいアイデア(と思い込んだもの)が湧いて
やらなきゃ!!という気持ちに取りつかれてしまう事があります。
でも時間的に無理かなとか思っていると
出来る状況が生まれたり。
そしてやって、ささやかだけど良かったなと思える。
ちょっと予定が入りすぎて体力持つかな~と
思えば上手く休みが入ってくれて救われたり。
休んだ人が上手い事空いている時間に来てくれたり。
毎日穏やかさの中でコースターのように目まぐるしく変化し
パズルのようにピッタリとはまっていく。
なんだかんだ上手く状況と自分が調和しているな
と感じます。
かつては全部裏目っていた時期もあったような気がします。
そう感じているときはそういうように振舞って
いるから更にいい事はないですね。
今起きているいい事や瞬間を次々見逃してしまいます。
閉塞感を力技と論破でしかしのげない日々です。
最近は自分に何ができるのかが分からくなっていますので
起こる事ややる必要があることはやるようにしています。
そういった事柄をただ出来るが来る迄やり続ける。
手を付けてみればどうにかできる事に気づいたり
その難しさに気が付いたり
分かっていなかったことに気づいたり
思いがけないやり方に思い至る自分に気づいたり
まぁ何でも気づけばいいやと思えています。
僕の間違いや見落とし、無知を上手に知らせてくれる
皆さん巧みさに気づかせられるのも楽しい。
気づくという事は気持ちがいい。
知る事の快楽とはちょっと違う。
知る事や知らせる事、知ってもらう事の重要性は
自分の中で下がってきている。
そうそう話はそれていきますが
先日の事、
ピアノを習っていたが何だかそのレッスンに
馴染めないのでその教室を辞めて、
新たにギターを習いたいという子供が
体験レッスンに来ました。
ギターは以前から興味があって元気のいい激しめの曲が好きだとの事。
すでにギターも持っている。
基本のドレミから始まった体験レッスンは楽しく終わって
習いに来る予定となりました。
数日後、子供が突然ピアノのレッスンに戻ると
言いだしたのでレッスンに通うのは中止させてくださいとの
連絡を親御さんからいただきました。
そのことに親御さんも驚いているようでした。
その連絡をいただいたときは何だか嬉しくなりました。
その子の中で何かが力強く動いたことが分かります。
その動きに役立てたなら十分に教室の役割を果たせたのかと思います。
一番大切なのは内部で起こるそういった動きです。
来てくれるのも嬉しい。
来なくても嬉しい。
色々な方々と色々な関係が持てることは
ありがたいです。
時にレッスンが気に喰わない方もいらっしゃるでしょう
それもきっと必要な事なのだと思います。
調和しているってそういう事だといつの間にかに知りました。
特別な出来事や特別な関係である事には間違いありません。
教室に通っていただくことも
通わない事を選んでもらう事にも価値がある。
それによってどんどんと豊かになります。
様々な噛み合わせの妙を傍観したりその一部だったりしながら
豊かに存在できている事に感謝します。