今年のレッスンも最後の週になってお互いの労をねぎらい
「よいお歳を!」の挨拶を交わして皆さん帰っていかれます。
今年も毎日の多くの時間を過ごした教室ですが
当たり前のように音楽を奏で会話し、
笑い、試し、眼差しを交わしあいながら
成長や理解に向かって過ごせたことが大変ありがたく思います。
年の最後の週という定点から振り返ると
ただ日々レッスンを行ってきただけの中で自他共に
様々な芽生えを見せて戴けた一年だったと思います。
今年も多くの発見や気づきがありました。
毎日、音の中にちょっとした現われを認めたり、
コツコツと成長をするための過程に取り組む
人たちと過ごし、それを見守る父母の存在、
そういった諸々のものがある空間に包まれているからこそ
私自身、様々な発想や気づきを手に出来ていると思います。
教室という場が教室として機能しています。
人は驚くほど人の影響を受けていて
人から送られているものを受け取っています。
そして同時にそれらを拒絶しています。
そういった力は人によっては非常に朧げなものかもしれないし
とても明瞭なものかもしれない。
人前で演奏する時に何故緊張するかと言えば
そういった要素の取り扱い方が分からないから
と答えることが出来ます。
緊張するのも奮起するのも平常心ではないと言えます。
平常心は自宅や慣れた場所でくつろいでいるような
状態を指すわけではありません。
そこにあるものがそこにある通りに見え向き合えている状態です。
言ってしまえば常に平常心を失っていることもあり得ます。
人前で演奏するという事は人に働きかけるという事です。
同時に人から働きかけられているという事です。
そこにあるものを無視して勝手に振舞うから
粗雑になったり空回りしたりおかしなことになって
力を浪費していく事になります。
勿論、無視した振る舞いに悪気がないのは分かっています。
ただ感じられないぐらいに我が強かったり
感じるための機能が機能していなかったり
拒絶することに慣れすぎていたり
感じていてもどう対処していいか分からなかったり
ただ慣れたリアクションをしているだけだったりです。
そこにあるものをそこにあるものとして触れて
それに対してどのようにして作用を積み重ねていく事ができるか
を知って欲しいと思います。
私の成長もあるし、個々の成長もあるでしょうし
教室全体が成長のしていく中でそういった事も
次第に共有できる場面がありそうな気がしています。
それはもうすでに芽がついているように見受けられます。
来年も繊細で小さな時間を積み重ねていきたいと思います。