かつてのITと同じように最近はAIという
言葉が耳目に触れます。

かつて落語家の立川談志さんは
「不快感の解消を自分の手でやるのが文化で、
(お金で)他人(や機械)にやってもらうのが文明だ」
と定義されました。

日頃、我々の生活は新たなものやサービスによって
助けられて生活をしています。
文明的に発展した豊かな生活を送らせていただいています。

そんな中で山に登ったり、日々丁寧に過ごしたり
といった手間のある生活に魅力を感じ
心が惹かれていくこともあります。

音楽にも古来楽器をはじめとする様々なテクノロジーがあります。
最近だともうすっかり馴染んだボーカロイドや
AIによる自動生成音楽等もあります。

そういったテクノロジーを使った音楽の中にも
自分なりの手間をかけていく面白さ、すなわち
文化的な要素も沢山含まれています。

文化的なものが本質なのか文明的なものが純粋なのかも
考えていくと面白いですが、今は置いておきます。

物事の中の文明的な面、文化的な面を切り分けて考えていくと
演奏と取り組んでいくときにするべき事が見えやすくなっていく
と思います。


最後に教室の文化的な側面を振り返ってみます。

奏法を会得するには理論や概念の中に自分という要素も加えて
いく必要があります。
それは、楽しくもあり面倒でもあります。
でもそんな「ままならない私」と問答している一人一人が集まっていることが
教室の愉しさにつながっている思っています。

日頃から皆さんが既に持っている自身の体などの在りもの、
そういったものを見つめ直し発見して理解していく楽しさを
分かち合う機会を作っています。

「ままならない私」の中には多くの可能性が
秘められています。
僅か手を開いたり閉じたりするだけでも多くの方法があり
驚くほどの可能性があります。

「私はこんなものじゃない」私たちはどこかでそういったことを
感じているのではないでしょうか。
そういった本能的な問いかけが私たちを文化的なものに
向かわせている気がします。


私が見出してきたそういったことも、お付き合いの中で
少しずつお伝えしていこうと思っています。
想像とは違うアプローチかもしれませんが
愉しんでいただけたらと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございます。
下にインスタに乗せた手の動画リンクを貼っておきます。
上手く貼れてませんがクリックすればインスタが開きます。
思い付きでさっと撮ったので映像クオリティーは低いのはご容赦ください。

〇手の開き方閉じ方

〇上手に開閉できるとそれだけで力を効率よく使えます。