入り口の木を剪定した。
どの様に仕上げればいいのか
正解はしらない。
ちょっと筋肉痛。
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言葉の話題が多いですね、
もう一つ文章を書いてみます。
近年「こだわり」って言葉が肌に吸い付いてこない。
音楽の世界でも飲食店のメニューでも良く出会う言葉。
それを強く提示する事を自分の価値とされている方も珍しくない。
僕も昔は何かと「こだわり」が強かったと思う。
その頃は過去の蓄積やある種の価値観・美意識から発想していたと思う。
社会や他者にその「こだわり」をねじ込んだり、ぶつけて反応をみる
事も楽しかったのかもしれない。
共感・共有できる人と会うと高揚していた。
どこかの時点で行動とか自分とかの関係性が変わったのだと思う。
今は「こだわり」って言葉を
「ほら、こんな風にも面白さや美しさを見出すことができるよ!」
を発想・提示する感覚だとちょっと無理気味に脳内変換している。
もっとしっくりくる言葉がないかなと思って過ごしている。
そんな言葉に触れる瞬間を楽しみにしながら。
そのときそのときをちょこまかうごいてる。
文章の内容や気分が内向きのときは一人称が「僕」になって
文末が切れる。
色々書いているとそんな自分の癖が分かって面白い。