前の記事の推測をもうちょっと書いたほうがいいとのことでしたので。
様々に推測・推論していくには多くの経験が必要です。
経験を多く稼ぐには量をこなすか
情報量を増やすかになってきます。
量の方はイメージしやすいと思いますので
情報量の方を書いてみます。
多くの情報に触れるには環境やメディアの力が大きいと思います。
いい演奏や優れたものに触れる機会を得られる環境。
youtubeや書籍などの媒体から得られる情報の恩恵は大きいです。
ある人にとってはこれで充分と思えると思います。
我々が情報を得るときにはテーマやピントを定めます。
ピントを定めるとはそれ以外の要素を削除することであります。
採用するか削除するかを判断するところにとても大きな
個人的な業界的な社会的なフィルターがあります。
集中する行為をピントを合わせてピント以外の部分を削除することと
している方を多く見かけます。
ピントの合わせ方の上手い下手を勉強のテクニックというのかもしれません。
ありとあらゆる方向をの情報を受け入れて
それを包括する方法を見出すことも可能です。
この辺が削除する方との根本的な違いになります。
音楽の音を聞く動作にも直接楽器から聞こえる音
反射して聞こえる響き、そこにある様々な音があります。
演奏するときはピントを置かずに全てを聴いています。
その先に判断がやってきます。
その状態の中で判断の可能性を探っていきます。
レッスンの価値はその場で起こるすべての情報にあります。
先生役はその要素を集めるプリズムのようなものです。
その純度に価値があると思います。
話は逸れますが、今よく耳にするAIやビッグデータと言われるものの
取り扱いも似ています。
様々な事象を受け入れて、相関関係を見出していく。
そのデータをどう読むかには様々な目線があります。
そこが推測・推論です。
こういった新たに生まれたツールは基本的に
我々がすでに持っている機能の似姿です。
これからはより一層どこまでの情報を認識し包括できているかが
大切ですしそのようなアプローチも可能な社会になっていくと思います。
削除していくことにより得た情報や態度は削除したものと
その自己の中で対立を生む宿命があります。
その対立が抱えられなくなることにより様々な現象・行動が生じます。
AIに置き換えたほうがいいと言われるものにはこういった
何か削除している・されている不快感を解消したい衝動が含まれているのかもしれません。
また、女性的な力とはその
情報を情報のまま浮遊して取り込める力かもしれません。
その場に発生したとりとめのない話が大切な資源であります。
それをピッタリ楽しめるかを自己判断の基準と思ってみるのもいいかも。
視覚情報、聴覚情報、触覚情報、心のざわめきなど
演奏中の様々な情報をどこまで排除・削除しているかに気がつき受け入れると
その瞬間に得られる情報が増えてきます。
情報の多さに最初は圧倒されるかもしれませんが
だんだんと扱いに慣れてきます。
それをいちいち受け入れていくことによって推測が冴えてきます。
別の言い方をしますと推測がやってきます。
その推測も一つの要素に加えていくことによって物事が
自明のこととして認識できます。
量をこなすということもこういった作業をしているにすぎません。
経験を重んじるのも情報を重んじるのも内的には
同じことだと思います。
音源や動画、書籍では触覚情報や環境からの情報等が欠落しますのでそこは注意です。
全部使いましょう。