前の記事でも書きましたが
教室という場でできる事を常に模索しています。
日々沢山の可能性と一つの身体が常に対話をしています。
楽器から色々な音を出したり
ものを見て絵を描いたり、植物や人と触れ合ったり
様々な作品やコンテンツに触れたりして毎日を過ごしています。
「先生は何でも出来そう!」なんて風に見てくれる人もいます。
(あくまでも出来そ~です。何でも出来るんですね💛ではないのです)
確かに年々マシになってきていると思う自分がいる。
世の中のきらめきや人の凄さにグラッとしたりゾッとできる事が増えている。
グラッ・ゾッとするその分、できる事が増えている。
(あっ「グラッ・ゾ」っていい響きですね、そのうち何かに使おう)
そんな風になれてきたのは
単純なことをずっとやっているからだと思う。
何かをするって事を突き詰めると指を曲げたり伸ばしたり
しているだけだったりする。
だから曲げたり伸ばしたりを少しでも上手に
したいと日々観察・発見している。
本当にずっとそんなことばかりしている。
それが根の一つとなっている。
凄く単純なことをずっと考えて、探って
試して、共有して、根が育って葉が広がっていった。
枝や葉に花は咲き実を結び鳥や虫は集まる。
無限の可能性は誰にでもある。
ただ無限の可能性を追うと表層的になって自分を見失う。
でも色々と追ってしまうのが人情。
そういった動作の中で共通しているものを見つけ
ピントを絞っていこう。
僕が色々とやっている事のほとんどは
同じ根から生まれている。
色々やっているように見えても
実は同じ事をしているだけだったりする。
根を育てるために色々とやっている。
そこにサイクルが生まれる。
根が枝葉を育て、枝葉が根を育てる。
今、そんな風に僕は育っている。
いつも他人を育てるように自分を見ている
自分を育てるように皆を見ている。
全ての二つのものは対立でもなく、縦関係でもなく
相互作用でありサイクルである。
どちらが主でも従でもない。
そのサイクルが主体である。
時間は有限だが時間の中で起こることは無限の可能性がある。
ピントがあった時間はとても創造性と加速に満ちている。
教室はで出来る事は増えている。
それは思考ではなくて肌が理解してくれている。