梅雨も明けた頃の事、敷地内にある木の枝が随分と伸びていて
隣の信用金庫に葉や花を落としていたので枝を切ることにした。

信用金庫の塀に上らせていただく許可を得て
塀の上に立って鋸で枝を切れるだけ切った。
切り終わって塀から降りようとしたら落ちた。

落ちた先は信用金庫の駐車場のアスファルトの上。
背中から落ちた。
面白いぐらいにふわりと落ちた。
頭は打たなかった。
受け身は取れたようで痛みはどこにもない。

落とした枝を片づけた後、
レッスンに入ったが弾いていると次第に手に力が
入らなくなってついには弦を押さえられなくなった。

あらら、ヤバいかな……
そう思いつつ、そのレッスンはギターを弾かずに済ませた。
次のレッスン時間には段々と回復をしてきた。

そういえば最近、足場のいいところで
生活をしている。
飛んだり跳ねたりすることもない。

自分のバランス感覚を過信しているわけではないが
落ちたものは落ちたし、よろめいたものはよろめく。
それがあまりに自然な出来事で新鮮さがあって面白かった。

それからなるべく不安定な場所に立つようにしている。

暫く日常的にそんなことをしていると
身体の様々な場所がほぐれてくるのが分かる。
常に動けるようにほぐれている。
面白いもので安定したところにいると
身体は流動性を失って固くなるようだ。

そうなてくるとまた発見することも多い。
何かを行う時には起点となって動く場所から
力が伝わっていく経路というものがある。
経路というと順番があるようだが整うと全てが
同時に動く。
以前もそれなりに出来ていたと思っていたが
より力がスムースに伝わる経路が捉えられるようになった。

そうやって弾いていると、
ちゃんと皆が変化していく。
別に僕をほめたり、感嘆してくれるわけではないが
(そういった事もないわけではないが)
もっと微細な点で現れてくるものが変わってくる。

やはり常に向き合うのは自己のみで、
壁から落ちようが何が起ころうが
起こるものは起こればいい。
それを味わっていく事がその時受け取れる最善につながっている。

そうそう、話は長くなるがもう一つ。
今年のお盆は1日だけ休みを設定した。
特に何かをしよという目的はなかったけど
まぁ1日ぐらいは休もうかと教室に行かない日を作った。

休みの前日、最後のレッスンが終わって家に帰ったら
微熱が出た。
次の日も37度少々の微熱。
普段ならどうってことのない熱だが何故か1日中眠る。
お腹がすいて起きては焼き肉などがっつり食べて寝る。
その日の夜中には平熱となり
次の日からは普通にレッスンの日々となる。
ちゃんと休みに合わせて身体はメンテナンスモードに
入ってくれる。
なんて便利で親切で協調してくれているのかと思う。

日常の中に非日常が起こってくる。
起こりに導かれ、それを味わい、現われに感動する。

非日常的な感動が日常にある日々とも言える。