生徒たちの話を聞いていると
かつて自分が習い弾いていた曲を
誰かが弾いているのを見聞きするのは
楽しくもあり、脅威でもあるようだ。
自分の通ってきた道を後から来るものが
なぞっているのを見るのは楽しいことで
自分が苦労した部分をどうこなすかも
興味があるようだ。
ちょっと上手く弾けていないのを
確認できると安心したりするのは人情。
でも、いずれ後進に抜かれる日が来るのでは?
という気持ちも湧いてくるようだ。
それも微笑ましい感情。
後進からするとかつて見聞きした曲を
弾けるようになるのは単純に嬉しい事のようだ。
また簡単そうに弾いているように見えたフレーズに
潜む難しさに気が付いたときに先行者に対して
何か感じるものがあるようだ。
―さてさて、成長とは面白い。
個人的には拡大的な成長より
成熟したり深まっていく方向の成長に
興味がある。
深めていくその過程で
現れる拡大成長的な現れは収穫するべき果実としてではなく
そのことがらそのものを楽しもうと思っている。
下の写真は同じ少年の2年の変化、抱えているギターは同じ。
↑足をぶらつかせシンプルなメロディーを弾いていた子が
↓僕より背も大きくなりスラム奏法でインスト曲を弾きまくる
以下は別の子
去年と今年のオータムフェスタで同じ並びの写真。
↑昨年、僕を見上げていた子が
↓今年は同じ目線で堂々と寡黙に自分のパートを弾きこなしていた。
8歳から来てくれている生徒の手形の年輪
手は横に広がったり、縦に伸びたりして大きくなっていく。
中心はどこにもない。
こういった成長に付き合えるのも
日々、週ごとに黙々と音楽に向き合い奏でたり
時に様々な事柄を話題に過ごしていることを根としていると思う。
そういった事を認め遠くから眺めていてくれる
親御さんの懐の深い愛情には本当に頭が下がる。
1年や2年という極めて身近な単位の時間は果てしなく長く深い。
時に知らぬ者同士を語るに欠かせない同行者にもしてくれる。